つい吉

日記

2023.07.09 意識を常に曖昧にさせている

今はHirotaka Shirotsubakiさんのアンビエントを聴いて意識を曖昧にさせながら移動しています。アンビエントは1〜2割くらい、適度に意識を持ってってくれるのでありがたいです。

 

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最近は平日の疲れ(肉体と精神ともに)を土曜日寝込むことで回復しています。

体感としては実質週6勤務(勤務?)なので本当になんとかしたい。

 

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この疲れの1番の原因は、普通の会社への適合だと感じています。普通に対してずれないようにずれないように調整しながら過ごすので、ずっと気を張ってしまいます。

(それでももう「変わってるね」って言われたり、なんかバレてます。なんで?)

 

前の仕事(業界?)は、たくさん作業をしてくれれば、ずれていてもそんなに気にしない、むしろみんなどこかずれているくらいだぜ、って感じだったのだな〜と振り返って思います。

 

小さい頃からちょっとそんな予感はしていましたが(だから制作職を選んだところもありますが)、普通の社会に適合するのはあんまり向いていないようです。

かといって一人で回すフリーランスなどはもっと大変そう→つまり適合できないので死しかないのか?

 

そういう感じで今だに死が選択肢として入っています。未来への責任からの逃避ではなく年々リアルな選択肢になっているので普通にやばいな〜になります。

 

というか、過労で危ないと思ってお仕事を変えた面もあるのに、新しい場所でも仕事し過ぎなのかもしれない。

普通がわからないとこういうときワァ〜てなります。

 

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たびたび書いていますが、このずれている状態はもうずっと小さい頃からありました。

それこそ小学1年生の時に学童クラブで、特に無視などされていたわけじゃないのに「あれ???なんか、仲間に入れないな??」と思ったときから今まで、ずっとそうです。

 

で、中学生の頃に対処法として編み出したのが「意識を常に曖昧にさせている」ことです。

外にいる間はずっと音楽を聴いたり、家ではゲーム実況を流しっぱなしにしたり、漫画や二次創作のネタを考えたり、本を読んだり、頭の中にキャラクターを作ったりしてずっと意識を曖昧にさせています。もちろん今も。

 

当たり前ですが副作用もあって、そもそもこれは人とのずれを気にしないための対処法なので、つまり集中して人と接しないということになります。

だから人の話を全然聞かなくなるし、なんか、人に興味がなくなるのかわからないけど名前と顔が一致しなくなる、好ましい人でも顔を忘れます。意識を人に向けないので。

あとやっぱり、意識を常に曖昧にさせているから生きている実感があんまりないというか、将来を考えて計画するとかができないです。

(これは元々の性格からかもですが)

 

このままだと意識を曖昧にさせたまま生が終わるので現実を見ないといけないのですが、それはひょっとしたら死よりもつらいことかもしれない、ま〜た生まれ変わり(精神的なやつ)やらないといけないのか…?みたいな気持ちもあります。

 

まぁでも、このまま死ぬまでゆっくりモルヒネしていってくよりは、環境の変化を使ってなんとかする方がいいかもしれない。

 

意識を曖昧にさせたままうまく意識を取り戻せたらいいんだけど。

次の5年は、そういう模索をしていくようなそんな気がします。